

昔の歌舞伎町は周囲から完全に独立した「村」のような場所
――今回はKEIさんと親交のあるHIP HOPアーティストの漢a.k.a.GAMIさん、D.Oさんにいろいろとお話を伺いたいと思っています。小誌で連載中の『バブル』はKEIさんが少年ヤクザとして10代から過ごした歌舞伎町が舞台の作品です。まずは、当時の話を少し聞かせてください。
KEI 自分も漢さんも、時代は違いますが元々は歌舞伎町というよりは北新宿あたりを拠点としていました。寝泊まりするのは北新宿で、そこから歌舞伎町に出ていくイメージですね。
――KEIさんが歌舞伎町に出るようになったのはいつ頃ですか?
KEI 自分は1970年代後半ですね。ちょうど「少年ヤクザ」がブームになっていた時代です。当時はまだ駅前にアルタもなくて、あの辺には惣菜屋とか銭湯があったんですよね。漢さんやD.Oさんの頃にはもうアルタはありましたよね?
D.O 自分たちの頃にはもうありましたね。
KEI 今思うと、アルタができた頃(※1980年に竣工)から新宿の東口あたりは一気に様変わりしたな、という印象ですね。
――今と比べると、歌舞伎町の雰囲気はどんな感じでしたか?
KEI 今の歌舞伎町のことは全然わからないので「比較」はできませんけど、当時は渋谷とも六本木とも違う、独特の雰囲気がありましたね。いろんなヤクザがいて、もちろん不良みたいなヤツもいっぱいいて、「歌舞伎町弁」と呼ばれるような独特の言葉もある。外の世界からは独立した「村」みたいな印象です。歌舞伎町の不良は外にも出ていかないんですよ。
D.O 当時はKEIさんも、歌舞伎町から外には出なかったんですか?
KEI 10代の頃はそうでしたね。ただ、バブルがきて歌舞伎町もいろいろと変わってきて、だんだん嫌気がさしてきたというか。言い方は悪いかもしれないけど、歌舞伎町ってどこか「垢抜けない」イメージもあったんですよね。だから自分はだんだん渋谷とか、歌舞伎町の外に出るようになりました。
漢 そのイメージは分かります(笑)。自分たちの頃も、歌舞伎町はKEIさんが言うように「村」みたいなイメージ。どちらかというと地元の人間じゃなくて、外から来たヤツらが集まっていましたね。
KEI 東京の人間は少なかったかもしれないですね。地方から「一旗揚げてやる」みたいに意気込んでやってきて、部屋住み(※ヤクザの下積み時代)の厳しさに耐えかねて逃げ出しちゃうヤツもたくさんいましたよ。自分は地元が東京だから逃げたくても逃げられなかったですけど(笑)。
――逃げてもすぐに捕まっちゃう?
KEI 新宿から2駅くらいなんでね(笑)。
漢 自分は生まれたのは新潟ですけど、3歳くらいからは高田馬場で、中学から北新宿の3~4丁目あたりが地元でした。ガキの頃は歌舞伎町で遊ぶっていうよりは、地元の公園とかでたむろっていることの方が多くて、むしろ地元でハブられたり、ボコられたりしたような人間が歌舞伎町に流れて行って、そこで愚連隊化する……みたいなことが多かったかな。
――歌舞伎町に出ることもなかったですか?
漢 そうですね。自分の頃は「○○公園が○○中学の溜まり場」みたいにテリトリーがはっきりしていて、喧嘩するにも話し合いするにも、相手の拠点の公園に行くか、自分たちのところに相手が来るかのどちらかでした。

渋谷でもどこでも、地元から出ると「なにか」が起こる
――当時の歌舞伎町に「ヤクザ」のイメージはありましたか?
漢 めちゃくちゃありましたよ。わかりやすく言うと、渋谷は子どもたちが遊びに行く場所で、新宿・歌舞伎町は大人の街。自分たちの時代は圧倒的に「渋谷」で、たとえばチーム組んでヤンチャするような連中も渋谷に流れることの方が多かったですね。
――歌舞伎町に流れるようなケースはあまりないんですか?
漢 自分の周りにはほとんどいなかったですね。ただ、当時はさっき言ったように本当にテリトリーがはっきり分かれていて、自分たちは明治通りの反対側には行かなかったんですけど、(明治通りの)向こう側のグループの中には歌舞伎町に出ていくヤツもいたかもしれないです。
――じゃあ、当時はほとんど地元から出ていくことはなかったんですか?
漢 渋谷でもどこでも、外に出ると絶対「なにか」があるんで……(笑)。いちいち面倒くさいんですよね。だから、たまに遊びに行くヤツとか、渋谷のチームに入っているようなヤツから話を聞くくらいで「お腹いっぱいだよ」みたいな感じでした(笑)。
――今も昔も、トラブルがありながら『歌舞伎町』という街には人が集まってきます。その理由はどんなところにあると思いますか?
KEI 別に当時から歌舞伎町に「悪い」イメージはなかったですよ。北新宿から歌舞伎町って、歩くと少し遠いんですよね。だから自分は一緒につるんでいたヨシってヤツと、毎日ママチャリで歌舞伎町に行ってました。カゴに「小出刃包丁」入れて(笑)。歌舞伎町をママチャリでうろうろしているヤツなんて自分たちくらいしかいなかったですけど、警察がいても別に職質もされないし、ある程度自由に遊べましたから。
D.O 自分も、歌舞伎町は決して「悪い」だけのイメージじゃなくて温かい雰囲気とか、そういう人間も多いなという印象ですね。あとは今思い返すとですけど……小学校くらいのころ、家族で食事に行くと普通に「のぞき部屋」の看板とかあるんですよ。当時はなんのこっちゃ分からないから「お父さん、のぞき部屋って何?」とか無邪気に聞いてましたね(笑)。

歌舞伎町の「師匠」とヤクザの無言のバトル
KEI 当時は変なヤツもたくさんいましたね。
漢 歌舞伎町で言うと、忘れられない思い出がひとつあって。小学校6年生の頃に友だちとよく歌舞伎町の一番街にあるパンチングマシンをやりに行ってたんですけど、そこに俺らが勝手に『師匠』って呼んでいるオタクの陰キャみたいな人がいたんですよ。その人のパンチ力が半端なくて。ギャラリーができるくらいで、俺らも「今日、師匠来てるぞ!」って。で、ある日そこにゴリゴリのヤクザが現れたんですね。フォームはめちゃくちゃなんだけどそのヤクザもパンチ力がヤバくて、師匠も「おぉ……」って驚くくらい。そこからは、師匠とヤクザが無言の勝負を繰り広げるんです(笑)。たぶん20発ずつくらい交互に打ち合ったんじゃないですかね。ギャラリーもメチャクチャ盛り上がってましたし、自分たちも「良いモン見れたな!」って満足して帰りました(笑)。
KEI 自分らの時代はスケチヨっていうホームレスの親方がいて、ホームレスなんですけどいつも100万円の束を持ってるんですよ。酔っ払いが落としたダンヒルのライターなんかを紙袋一杯に持っていて、それをヤクザに売って儲けてるんです。昼間に会うと「そば食わせろ」って言ってきて、せっかく食わせてやったのに「天ぷらが入ってねぇ!」ってどんぶりひっくり返したり(笑)。ほかにも、面白いことはいっぱいありましたよ。日本で初めての『殴られ屋』も歌舞伎町だったはずですし。
D.O 今だったら大問題ですよね(苦笑)。
バブルと浄化作戦 歌舞伎町のターニングポイント
――当時と今は歌舞伎町もずいぶん印象が変わったと思うのですが、「分岐点」となったタイミングって何かありますか?
KEI 自分はやっぱり、バブルですね。それまでは「強い人が偉い」世界だったのが「金を持っている人が偉い」世界に変わってしまった。自分が憧れて、入りたいと思っていた世界が一変してしまって、そのタイミングで自分は完全に歌舞伎町に見切りをつけたというか、歌舞伎町の外に出ることになるんですけど。
――今また、歌舞伎町では「トー横」であったり、いろいろと話題になることも増えてきました。今の歌舞伎町をどう見ていますか?
KEI 自分はさっきも言ったように今の歌舞伎町のことはニュースで見るくらいしか知らないですけど、バブルがきて歌舞伎町を出たあとも、漢さんが言うように色々なことがあって、当時とは全く別の街になったな、という感覚ですね。漢さんやD.Oさんは歌舞伎町、まだ行くんですか?
漢 たまにですけど、飲みに行ったりすることはあります。「俺たちの頃は」みたいな話はしたくないんですけど、今の子たちの気質が当時とは違うな……というのは感じますね。ただ、自分みたいな人間にも出来ることはあると思っていて、たとえば今、Xで有名な『Z李』って人間が、トー横界隈でやらかした子たちを捕まえて、ウチのスタジオで反省の気持ちをラップさせるってことをやってるんですけど。
D.O アレ、どんぐらいやってたっけ?
漢 ここ数年かな。SNSで悪さした子が拡散されたりするじゃないですか。そういう子をすぐに捕まえて、ラップさせるんです。もちろん、悪いことをしたのは事実だし、反省すべきところは反省してもらって、でもラップなり、音楽なりで発散させることができればなとも思うんですよね。もしかしたらいろいろな事情はあるかもしれないですけど……。ただ、歌舞伎町で悪さしたらウチでラップすることになるぞ、ということはしっかりお伝えしたいですね(笑)。

――KEIさんも今、「音楽」をツールにした活動を行っているんですよね?
KEI はい、D.Oさん、漢さんやZeebraさんら、たくさんのアーティストの方に協力してもらって、『いじめ撲滅チャリティーソング』の『No Bully』をリリースさせてもらいました。
――どういう経緯で、「いじめ撲滅」のチャリティーソングを企画したのでしょう?
KEI アメリカの刑務所を出て、日本に帰ってきてから、子どもたちの育成や非行防止の活動を続けているんですけど、その中でも「いじめ」はかなり根深い問題です。大人たちがいくら正論を言っても、子どもたちには響かないことも多い。ただ、加害者の中にはいわゆる「ヤンチャ」な子どもたちも多くて、彼らにとってミュージシャンは「ヒーロー」だったりするんですよね。親や教師が頭ごなしに「いじめはダメだ」と言うより、彼らのヒーローから「いじめはカッコ悪い」と言ってもらう方が、響くんじゃないかな……そう思ったのがキッカケです。
――5月のリリース後にはかなり反響もあったとか。
KEI おかげさまでたくさんの人に聞いてもらっています。
漢 自分も「No Bully」に参加させてもらっているんですけど、やっぱり自分自身がHOP HOPに出会って、生き方と言うか人生が変わったなと思ってますし。逆に出会っていなかったらろくでもないことになっていただろうな……っていう。大きなことは言えないですけど、この曲を聴いて、誰かひとりでも何かを感じてくれればうれしいですね。
――貴重なお話、ありがとうございました!
「No Bully」好評リリース中!
HOMIE KEIとZeebraが「音楽でいじめを撲滅したい」という思いで始動させたプロジェクト。
OZworld、KEIJU、IO、D.O、漢 a.k.a. GAMI、GDX a.k.a. SHU、JESSE(RIZE/The BONEZ)、ANARCHY、BOO a.k.a. フルスイング、田中雄士、般若と計12人のアーティスト・ラッパーも参加し、いじめのない社会を実現させるためのメッセージを発信している。
■撮影協力/9SARI GROUP/9SARI CAFE & BAR
■インタビュー・文/花田雪
■カメラマン/宮木和佳子
▼漫画本編はこちら!

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